この映画を見ると少し優しくなれるしケンタッキーが食べたくなる。
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- ストーリー
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- ハートフル
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- 映像
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- 演技
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- テンポ
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評価:
「グリーンブック」の概要
あらすじ
時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。
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出演・監督・ジャンル等
- 出 演 :ヴィゴ・モーテンセン, マハーシャラ・アリ, リンダ・カーデリーニ
- 監 督 :ピーター・ファレリー
- ジャンル:コメディ, ドラマ, ミュージックビデオ・コンサート
- 上映時間:129分
- 国 :アメリカ
- 公開年 :2019年
以下「グリーンブック」のネタバレあり。
「グリーンブック」感想①よくあるストーリーなのに面白い
カッとなったら後先考えずにぶん殴るが性根は心優しい白人トニー・リップが、知的で金持ちな黒人ミュージシャンであるドン・シャーリーの運転手としてアメリカ南部での演奏ツアーに同行する。その旅の中で正反対の二人が徐々に仲良くなるという、良くある話なのだが、これが面白い。
同じようなストーリーでも、凡庸な作品は序盤の1つの出来事であっさりと仲良くなってしまったり、又はいがみ合って最後の最後で仲良くなって終わるパターンがほとんどだが、この作品は違う。仲良くなったと思ったらちょっとした価値観の違いでぶつかったり、大喧嘩したり、お互い尊重し合ったり等、人と人との歩み寄りを丁寧に描いている。二人はちょっとした会話や出来事を通じて、理解を深め合う。
これは我々視聴者も同様の経験をするように作られている。例えばトニーは一見すると荒っぽい差別主義者だが、よくよく彼を知ると、実直に仕事をこなす、自分の気持ちに素直な男であることが分かる。映画はどうしてもステレオタイプな人物を描きがちだが、この物語は一人の人間の多面性を小出しにすることで、我々視聴者が彼らに持つイメージを少しずつ変えていく。
丁寧すぎて、中盤までストーリー展開は無いに等しいのだが、そこはワンエピソードそれぞれが面白くテンポがいいため、見る人を飽きさせない。
序盤の二人の人間性、関係性を端的に表すシーン
運転中トニーは「小便してくる」と言い、立ち小便をするために路上に車を止める。「今?ここで?」とビックリするシャーリーを尻目に車を出たトニーは何かに気づいたように引き返して、車に置いていた財布をスッと持っていく。わずか30秒程度のシーンだが、二人の品性の差や間柄、トニーの差別的な考え方を無駄なくコミカルに伝える良いシーンである。
ケンタッキーフライドチキンを食べるシーン
フライドチキン食ってみろと勧めるが、「毛布に油が付く」、「皿とフォークがない」と渋るシャーリーに対し、半ば無理矢理フライドチキンを食べさせる。「衛生面に問題がある」と文句を言いながらフライドチキンを気に入り、食い終わった骨を窓から投げ捨てるという、今までのシャーリーでは考えられない行動も楽しそうにやる。
二人が歩み寄り始めた良いシーンだ。
その後、トニーがドリンクカップを窓から捨てた瞬間、シャーリーが真顔に戻ってカップを拾わせる所も面白い。
「グリーンブック」感想②差別について
この映画を語る上で、差別の話は欠かせない。差別が悪いことであることに議論の余地はないが、「差別をする人間が必ずしも悪意を持っているわけではない」という恐ろしい事実をこの映画では随所に見られる。
映画序盤において、バーで飲んでいたシャーリーに、白人達が取り囲んで殴るシーンがある。彼らは明確に悪意があって、シャーリーを「黒人である」というだけで暴力を振るう人間だ。
無意識に行われる差別の怖さ
しかしこの映画で描かれる差別は、そういった分かりやすい差別だけではない。無意識化における差別、常識や道徳として当たり前の行動様式として落とし込まれた差別だ。
例えばスペシャルゲストとして招かれたシャーリーが室内のトイレを利用しようとしたところをわざわざ引き留めて、「(黒人の)トイレはそっちだよ」と悪意なく伝える。別の土地でもゲストとして招かれたシャーリーに対し、支配人は「このレストランは黒人は利用できない。」、「この土地の伝統だ」と言いレストランの利用を断る。彼らにとって、それは当たり前の行動であり、悪意がないという所が恐ろしい。彼らは自分たちが差別主義者とも思っていないし、悪い行いをしているという自覚もない。当たり前の行動だからだ。
「今は違う」のか?
「今はそんな常識や道徳はない。これは昔の話だ」と片付けてはいけない。
例えばこの映画において最も教養があり常識人のシャーリーでさえ、トニーがタバコを地面に投げ捨てたことを注意しない。何故なら、当時の常識ではタバコを地面に捨てても問題ないためだ。今では考えられないが、1960年代の日本では電車内でタバコが吸えたし、タバコは地面に投げ捨てるモノだった。このように常識や道徳は時代と共に変わっていくものだ。
差別の話に戻すと、2010年前半までは「男の子だろ、泣くな」は励ましの言葉でしかなかったが、僅か10年後の現代においては性差別発言となっている。「今後差別になり得る常識や道徳」は、映画における白人達が行っていたように、私たちにとって当たり前の行動であり、気づき得ないものだろう。
ではどうすればよいのか。この映画のトニーとシャーリーのように、相手を理解しようとして対話をすればいい。我々は経験を積めば積むほど、人々をカテゴライズ(分類)をしてしまう。「この顔の人ってなんか苦手だな」という無意識レベルのものから「この手のタイプはこういうのが好きだろう」という意図的なものまで様々だが、今までの経験から、初めて会った人でも分類してしまう。
分類自体は悪いことではないが、それを相手に押し付けてしまったら差別になるだろう。そうならないように、相手を一人の人間として理解しようとすべきだ。「黒人だからフライドチキンは好きだろう」ではなく、「あなたはフライドチキンが好きですか?」という気持ちが大事ではないだろうか。
最後に
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- ストーリー
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- ハートフル
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- 映像
- 4
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- 演技
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- テンポ
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評価:
差別の話が主題となるが、二人の掛け合いが面白いため、そういった話が苦手でも楽しめます。見て損はない万人におススメの映画です。
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